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冬青さま「消滅可能性私達 あずみ短編集」第2回京都文学フリマ感想1

 饒舌な一人称の語りが魅力的な短編集でした。私はこういった勢いのある一人称の小説を書くと、余計なことを書きすぎたり、物語をすすめるうえでの説明が足りなくなったりして、読者の方にとってストレスフルな長文を作成してしまいます。あずみさんは突出したバランス感覚で、主体の焦燥が読者に直に伝わるように書かれるのが羨ましく、印象的でした。特に好きだった短編を今回は紹介します。

 

消滅可能性私達

  消滅可能性都市にカテゴライズされるような田舎町に取り残されたぼくと、都会に出たけれども身体を壊して戻ってきたきみ。垢ぬけたきみは田舎では否が応でも目立ってしまうため、身を隠すようにして暮らし始める。そんなきみの手首をつかんだぼくは……

  ままならない時代であることへの諦めや、故郷がゆっくりと滅んでゆくような寂寥感に、とにかく胸をうたれました。きみに対してぼくがゆっくりと言って聞かせるような語り掛けの文体も、その閉塞感を出すのに効いていると思います。

  主題は、ぼくが感じる閉塞感だと思います。一見恋愛小説のようだけれど、ぼくは、きみを理解し関係を進展させたがっているようには見えません。ぼくのなかではむしろ、「きみを巻き添えに懐かしい青春を過ごした田舎町で骨をうずめたい」という望みが勝っているように思えます。これは、きみに対する語りよりも、時代や田舎であることに対する言及のほうが多いことが原因に挙げられると思います。

  閉塞的な環境にいても、愛が細い光のように、希望のようにそこに差し込めば、そこから清澄な空気を吸うことができます。しかし、ぼくがきみに抱いているのは、おそらくそういった意味の愛ではないのでしょう。だから、きみを手に入れても、どこかぼくは息苦しい。二人は、肺に残った空気を交換しあっているのです。新しい空気が吸えなければ、いずれどちらも窒息してしまいます。

  あとがきには短歌の「百合読み」ショートストーリー企画で、とありましたが、単なる恋愛小説にとどめず、時代と環境による閉塞感、主人公の切迫感と利己心が炙り出しになる筋書になっていたところがすごいと思いました。

 

 ほかの冊子?作品?も読んでみたいです。ありがとうございました。

 

文責 道券はな