muranoさま「薄情者の恋 鉄火異譚其之二」第2回京都文学フリマ感想2
「薄情者の恋」は文章が巧みで破綻がなく、安心して読ませる高い筆力を感じました。物語も、作者の作為や意図を匂わせることなく自然に最後まで流れており、文体、構成の双方で、難しいことをあまりに簡単に成し遂げられているという印象を受けました。番外編ということでしたが、私は購入時にそれに気が付かなかったので、本編を一緒に連れて帰ることができませんでした。そのため、本編との関連は指摘できないのですが、物語序盤で隆一郎、染也、伊都次、鉄火等魅力的な登場人物の人となりが明らかとなる構成、拷問のシーンなどでさらにそれを掘り下げてゆく緻密さ、自然に過去の話を挟む手つきなど、どこをとってもよく気が配られていて、うつくしいと思いました。
隆一郎、いいなあ。切なかったです。染也に銀木犀を頼まれた時、手を包んでもらった時、淡い恋心を意識する瞬間とか、染也の秘密に触れた時、持ち前の気の弱さが出てしまって薄情者だと言われてしまうところとか、ひとつひとつ丁寧で、彼の心の震えにこっちが共鳴して震えてしまうように、周到に細工がなされていました。鉄との将棋の話で居飛車穴熊を決め込む隆一郎を描くところなど、後から読み返して唸ってしまうような伏線だったと思います。染也と隆一郎のことを考えると、うまく言えないんだけど、長野まゆみ作品やあさのあつこ作品を読んだ時のような、胸に切なく甘く迫る感じがしました。世にいう萌えたってやつでしょうか。
私は純文学をなんとなく志していて、それは多少変わったことをしても受け入れられる点に魅力を感じたからなのですが、そうなる前はずっとあさのあつこさんとか、なんていうかジュブナイルみたいなのが好きでした。乙一さんとか初期の長野まゆみさんとか……人間の繊細な感情をセンシティブな筆致で描く作風が好きで、それは今でも変わっていないんだなって、「薄情者の恋」を読ませていただいて思い出すことができた気がします。「薄情者の恋」を読ませていただいたのも、サークル紹介を見てまわるうちにあらすじを拝見し、幼い頃に読んだ少女漫画「風光る」(渡辺多恵子)に、隆一郎と同じような境遇の雪弥という登場人物がいたのを思い出したからです。雪弥くん回も特に、繊細な感情を描くことに心を砕かれていました。
純文学の評は、文体や、構成や、主題は何か、主題に対して技術は効いているか、といった観点からなされるようなのですが、そういう観点とか、主義主張とかって、この胸に切なく甘く迫る感じの前では無力なのかもしれないとさえこの作品を読んでいて思いました。この作品はそれらをとても高いレベルでクリアされているからそう思うのかもしれませんが……
うまくまとまらなくてすみません、でもいたく気に入って大好きで強く心を動かされたというのは伝えられたのではないかと思います。本編もいつか必ず連れて帰りたいと思います。素敵な小説をありがとうございました。
文責 道券はな
冬青さま「消滅可能性私達 あずみ短編集」第2回京都文学フリマ感想1
饒舌な一人称の語りが魅力的な短編集でした。私はこういった勢いのある一人称の小説を書くと、余計なことを書きすぎたり、物語をすすめるうえでの説明が足りなくなったりして、読者の方にとってストレスフルな長文を作成してしまいます。あずみさんは突出したバランス感覚で、主体の焦燥が読者に直に伝わるように書かれるのが羨ましく、印象的でした。特に好きだった短編を今回は紹介します。
消滅可能性私達
消滅可能性都市にカテゴライズされるような田舎町に取り残されたぼくと、都会に出たけれども身体を壊して戻ってきたきみ。垢ぬけたきみは田舎では否が応でも目立ってしまうため、身を隠すようにして暮らし始める。そんなきみの手首をつかんだぼくは……
ままならない時代であることへの諦めや、故郷がゆっくりと滅んでゆくような寂寥感に、とにかく胸をうたれました。きみに対してぼくがゆっくりと言って聞かせるような語り掛けの文体も、その閉塞感を出すのに効いていると思います。
主題は、ぼくが感じる閉塞感だと思います。一見恋愛小説のようだけれど、ぼくは、きみを理解し関係を進展させたがっているようには見えません。ぼくのなかではむしろ、「きみを巻き添えに懐かしい青春を過ごした田舎町で骨をうずめたい」という望みが勝っているように思えます。これは、きみに対する語りよりも、時代や田舎であることに対する言及のほうが多いことが原因に挙げられると思います。
閉塞的な環境にいても、愛が細い光のように、希望のようにそこに差し込めば、そこから清澄な空気を吸うことができます。しかし、ぼくがきみに抱いているのは、おそらくそういった意味の愛ではないのでしょう。だから、きみを手に入れても、どこかぼくは息苦しい。二人は、肺に残った空気を交換しあっているのです。新しい空気が吸えなければ、いずれどちらも窒息してしまいます。
あとがきには短歌の「百合読み」ショートストーリー企画で、とありましたが、単なる恋愛小説にとどめず、時代と環境による閉塞感、主人公の切迫感と利己心が炙り出しになる筋書になっていたところがすごいと思いました。
ほかの冊子?作品?も読んでみたいです。ありがとうございました。
文責 道券はな
関西大学文芸部文学パートさま「千里の道も一筆から」第5回大阪文学フリマ感想2
「千里の道も一筆から(関西大学 文芸部文学パート様)」
自分が普段見聞きするもの、経験したことなど、身近な事象から題材をとったと思われる作品が多く、安心して最後まで読めました。矛盾などを丁寧につぶし、誠実に作品に向き合おうという姿勢が、1冊を通じて貫かれているように感じました。同じ同人誌で活動していると、構成員は同じ理念や目標に自然と向かうものなのでしょうか。部の伝統というか……。ぴりっと引き締まった空気が全体を通じて漂っていて、とても私は好きでした。
特に好きだったのは、「地蔵(時東健治)」です。
アイスクリーム食べたさに、地蔵にそなえられた百円玉をくすねる少年の心の動きが丁寧に描かれている。いけないことだと思いつつアイスクリームの誘惑に勝てないところ、百円玉を受け取った駄菓子屋の婆さんの少し困ったような笑顔、それを見て動揺するところ。そして、帰りに地蔵の前を通り、その慈愛に満ちた表情に、罪悪感に押しつぶされそうになる……
読者がまるでその場にいるかのように気温や風や音や匂いを感じられる、綿密な描写が印象的でした。心情描写もこまやかで、近代文豪の影響を受けたような古風で硬質な文体がしっくりきました。
題材を膨らませる力は、そのまま文章の力に直結するとどこかで聞いたことがあります。夏の日の小さな出来事が、少年の心に一生残る苦い思い出になる、そんな想像まで掻き立てられる、広がりのある作品でした。ささやかなことから世界や人生を垣間見せる手腕がすばらしく、小説ってこうだよなあと思わされました。こんな小説が書けたらなあと思いました。
いと花さま・文学サークル「花と魚」さま「ミツユメ」第5回大阪文学フリマ感想1
「ミツユメ(いと花さま・文学サークル「花と魚」さま)」
生徒の視点から、慕わしく魅力的なのにどこか寂しげな印象のある、謎めいた教員として紹介される主人公。彼は学生時代に、おそらく人生で最も印象的な友人に出会い、死別した後も、その実家に彼の代わりとして出入りし続けていた。生徒への進路指導を通し、自分の生き方を見つめ直した主人公は、彼の実家を離れ、新たな道を進むことを決意する。
こういう作品が読みたかったんだと心の底から思わされるような、端正で繊細でやさしくどこか物悲しい、それでも読後はさわやかな物語でした。
(1)構造について
「火花(又吉直樹)」はこれまでの純文学っぽい小説を総括したお手本のような物語で、とても端正に仕上がっていました。自分とは違う価値観の人間(A)と出会い、その人と考え方を交換しあうことで主人公(B)に変化が生まれ、人生の大きな転換点でこれまでの自分ではしないような選択をするにいたる、という構造です。
「ミツユメ」の主人公は、物語の最初、生徒らからは(A)的人間として描かれています。気弱で優しく、どこかほうっておけない魅力的な人物で、普段言わないようなことも彼の前では言ってしまう。しかし、彼自身にも(A)的人物がおり、自分は(B)を自認している。この入れ子構造が、この作品の一つ大きな特徴なのかなと思いました。
(2)友人の存在感について
また、主人公は友人の生前と死後、2度にわたって人生を大きく変化させています。生前は体験したことのなかった「友達のいる生活」を経験したことによる充足と成長、死後は亡き彼の代わりに彼の実家に通うのをやめ、大学院を受け直す決意をする点です。
同じ人物による衝撃が2度も与えられるとふつうはくどくなるのですが(「紳士同盟クロス(種村有菜)」のまおらちゃんが女子と見せかけて男子だった衝撃に、郵便屋さんがまおらちゃんだった衝撃が重なってくどくなったみたいに)、「ミツユメ」は文体が繊細なのにどこかからっとかわいており、そのくどさを感じさせない。それどころか、友人から受けた影響が2つあることで、その友人の主人公に対する影響の大きさ、存在感がさりげなく強調されています。それにより、淡泊なルームシェア描写の重みが後からずっしり伝わってくるのです。
(3)友人の死について
この物語の核は「友人の死」になると思うのですが、私が想起したのは「鳩の栖(長野まゆみ)」でした。「鳩の栖」では、転校先の学校になじめない主人公を支えてくれた友人は病弱で、その見舞いに行くたびに、友人は主人公に水琴窟を鳴らすよう頼みます。彼が1番うまいからと。友人には幼馴染がおり、主人公は友人の1番の友達ではないのですが、そうやって主人公の居場所を作ってくれているのです。
「鳩の栖」のラストは主人公と友人の二人きりの会話、そして彼の死が淡々と語られるのみで、友人と幼馴染の関連はほとんど描かれません。「ミツユメ」の主人公が友人の代わりに友人の実家に行く場面を読んで、私は、「鳩の栖」もラストの後はこう続いていたかもしれないなと思いました。幼馴染は彼の家を出入りし、彼の家族と無自覚ではあるが寂しさを慰めあうのではないかと。
青少年を描く物語で、友人の死はよく用いられる題材ですが、その後を描くのが不思議と難しいように思います。それを納得できる形で「今」につなげ、さらにその「今」も整理して区切りをつけるところまでを描いた「ミツユメ」を読むことで、真摯に物語にむきあう重要さに気づかされたように思いました。圧倒的な説得力でした。
(4)まとめ
最初は、「繊細な文体で心やさしい登場人物が描かれた美しい作品」という印象から入って読み始めたのですが、読み進めるにつれ、てにをはをおろそかにしない隙のない文体や、主題と結末をしっかりと見据えられたかっちりとした構成、説得力のある物語運び、矛盾なく選び抜かれた題材とモチーフなど、基礎の技術の高さに心奪われていきました。こんな小説が書けたらいいなあ。素敵な作品をありがとうございました。
はじめまして
はじめまして、
ごきげん創作ユニット「あっぱれ!」です。
へんりとぱん子の2人で活動をしています。
活動内容は、
主に文芸作品の制作、
関連イベント参加などです。
まったりマイペースユニットですが
よろしくお願いします。
〈自己紹介〉
・ぱん子
ぶんがくとまんがのはしっこをあまがみしている
学生時代は芥川賞のおっかけをしていた
短歌もつくる
・へんり
現実とアニメの区別がつかなくなってきた
大学では筒井康隆とかバフチンとか
こつこつ小説書いていきたい
〈活動実績〉
・2016年9月 第4回大阪文学フリマ参加
あっぱれ!創刊号「あっぱれ!vol.01」頒布
・2017年9月 第5回大阪文学フリマ参加
あっぱれ!第2号「あっぱれ!vol.02」頒布
・2018年1月 京都文学フリマ参加予定